「博士と彼女のセオリー」 ブラックホールの中心

博士と彼女のセオリー」(2014)
監督:ジェームズ・マーシュ


ALSに侵されながらも物理学のフロンティアを切り開いたスティーヴン・ホーキング博士(エディ・レッドメイン)と、彼を支えたジェーン(フェリシティ・ジョーンズ)という女性の物語です。
博士と彼女のセオリー』という邦題が、これ以上なくすばらしいと思う。

 

ケンブリッジ大学に在学していたスティーヴンとジェーンは恋に落ちるが、その直後にスティーヴンは突如倒れてしまう。
搬送された病院で目覚めた彼は、医師からALSに侵されていること、余命二年であることを告げられる。
現実を受け止められないスティーヴンは、ふてくされて誰にも会おうとしないが、そんな彼のことをジェーンは放っておかなかった。
病気の重さがどうであれ、彼女はスティーヴンの眼鏡の汚れを無視できない。
ジェーンにとって、彼はそんな存在になっていた。

二人は結婚し、子宝にも恵まれる。一方で、スティーヴンの症状は悪化し、車椅子なしでは生活ができないようになってしまう。
家事に育児に介護。ジェーンには重い負担がのしかかるようになっていた。

そんなある日、ジェーンは気分転換に讃美歌のクラスに出席する。
そこで彼女はジョナサン(チャーリー・コックス)という男に出会う。
ジョナサンは、若くして妻を亡くした男で、スティーヴンとジェーンの生き方にほれ込み、二人の暮らしを手伝うと言い出す。
ジョナサンはなかなかの人格者で、子供たちもなつき、スティーヴンも彼の人柄を認める。
そして家事や育児や介護を共にこなしていくなかで、ある種の必然としてジェーンとジョナサンは恋に落ちる。

ティーブンはおそらくそれを予見していたと思う。
ALSだと判明した直後、スティーヴンがふてくされて映画を観ている場面がある。彼はそこで登場人物の内情をスマートに分析して見せている。
だからジェーンとジョナサンがどのような関係となるかは、容易に想像がついたと思う。
それでもスティーヴンは、家族にも、ジェーンにも、ジョナサンが必要だと考えていた。
ティーヴンのジェーンに対する感情はそのような次元にあった。

*

数年後、スティーブンは海外のコンサートに出向くが、そこで肺炎に倒れ、生死の境をさまよう。
幸い一命は取り留めるが、この時の手術で彼は言葉も失ってしまう。
以降、スティーヴンは眼球の動きでコミュニケーションをとるようになるが、その解読の補助についたのがエレイン(マキシン・ピーク)という女性だった。
彼女はスティーヴンの意思を読み取ることに長けており、言葉を失っても円滑なコミュニケーションができることに彼は大きな喜びを感じる。
少し経って、スティーヴンは本を執筆するためにエレインとアメリカに行くとジェーンに伝える。
「とても長い時間が流れた」と彼女はつぶやいて、二人は静かに涙を流す。

ティーヴンはエレインと、ジェーンはジョナサンとの暮らしを始める。
エレインの助けを得て、スティーヴンは無事に本を書き上げ、大きな反響を得ることになる。

その本の出版に関連したイベントで、スティーヴンは記者から「自身の人生哲学は?」と問われる。
ティーヴンは「どんな不運に見舞われようと、やれることはあり、思考できるのです。命ある限り、希望が持てます」と答える。
その言葉は、会場のだれもが期待した言葉だったように思う。

しかしその直前、彼は白昼夢を観ていた。
最前列の女性がペンを落としたことに気付き、ゆっくりと車椅子を降りる。
二本の足で彼女の側まで歩き、ペンを拾ってそれを手渡す。

*

岸政彦先生の「断片的なものの社会学」のなかに「笑いと自由」という章があって、その中の一文がつよく印象に残っている。

ある種の笑いというものは、心の一番奥にある暗い穴のようなもので、なにかあるとわたしたちはそこに逃げ込んで、外の世界の嵐をやりすごす。そうやってわたしたちは、バランスを取って、かろうじて生きている。

車椅子に乗り、機械を通じて話す天才の言葉に、世間は惜しみない喝采を送る。
しかし、彼にとってそれは嵐のようなものだと思う。
嵐をやり過ごすために、彼は心の奥底にある穴に逃げ込む。
会場の人間は、だれ一人としてそのことを知らない。

*

物語の最後で、スティーヴンは女王陛下に謁見する。これまでの業績から爵位を授与されることになったのだ。
この式典に彼はジェーンと子供たちを招く。

女王との謁見を終えたあと、ジェーンはスティーヴンの功績をたたえ、「わたしたちの関係も素晴らしかった」と過去を述懐する。
ティーヴンはそのことには触れずに、彼女の視線を向こうへとうながす。
その先では、彼らの3人の子供たちが楽しそうに遊んでいる。

*

後世に残る理論を打ち立て、爵位を得て、子宝にも恵まれた人生。
それでも得られなかったものもある。眼鏡の汚れを拭いてくれる人と、普通に生きる人生。

クライマックスでは、物語が逆回しに再生され、二人の出会いのシーンまで戻り、そこで静止する。
物理学者として、スティーヴンは過去に戻ることはできないということを、誰よりよくわかっている。それでも彼は穴に逃げ込む。

薄暗い穴の中で、彼は遠い昔のことを思い、いまここにない人生を想像する。
その穴はブラックホールのようなものかもしれない。
外の人間は、中の様子は決して観察することができない。
一つだけ確かなのは、その中心にいる彼はいつまでも孤独だということだ。