「マンチェスター・バイ・ザ・シー」 海と和解する

 「マンチェスター・バイ・ザ・シー」(2016)
監督:ケネス・ロナーガン

 

日々の暮らしに疲れたとき、海へ行きたくなることがある。
海は世界が広いということを端的に示していて、いまの場所に無理にとどまる必要はないということを教えてくれる。

そんな風に感じる人はたくさんいると思うのだけれど、反対に、海がこちらを眺めていると想像したことがある人はいるだろうか。
海から見れば、窮屈な地上でもがいている人間は哀れに見えるかもしれない。

マンチェスター・バイ・ザ・シー』は、そんな空想をいざなう作品だ。
海が見つめているのだ。

 

 

 
親しかった兄のジョー(カイル・チャンドラー)が亡くなり、故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーに戻った便利屋のリー(ケイシー・アフレック)。
そこで彼は、ハイスクールに通う息子のパトリック(ルーカス・ヘッジズ)を引き取り、マンチェスターで暮らすように記されたジョーの遺言の目にする。
渋々ながらパトリックを引き取り、マンチェスターで暮らし始めるリー。
しかし、父が亡くなったばかりだというのに、毎日を乱痴気に過ごすパトリックに手を焼くことになる。

本作は、そんな二人が心を通わせるまでを描いた作品である。
ただ、それは二人の歩み寄りによるものでなく、それぞれが後ずさりをしていたらいつの間にか背中合わせになっていた、そんな調子なのだ。

*

リーにはかつて妻と三人の子供がいたが、自身の酒酔いが原因の事故で、子供たちを失っていた。彼がマンチェスターを離れたのはそれが理由だった。
一方、リーと別れた前妻のランディ(ミシェル・ウィリアムズ)は、その後もマンチェスターに残り続けていた。
ある日、リーは街角でランディとばったり出くわす。彼女はベビーカーを押している。
ランディはリーと別れた後、再婚して新たに一児をもうけていたのだ。
ランディは、過去の事故についてリーを責めたことを詫びる。
言葉を紡ぐうちに、ランディの感情はたかぶっていき、ついには「許してほしい」と涙ながらにリーに嘆願する。
前妻のそのような態度を目にして、リーは戸惑い、話を打ち切ってその場を立ち去ってしまう。
リーには、ランディの「許されたい」という感覚が理解できなかったのだ。

一方、リーとの暮らしにストレスを抱えていたパトリックは母親のもとを訪ねる。母はアルコール中毒を抱えており、パトリックとは別れて暮らしていた。
久々に再会を果たした母親は、見違えて落ち着いた女性になっており、隣には温厚な再婚相手の姿もあった。
しかしパトリックはそんな彼女の暮らしに違和感を覚える。
テーブルを埋め尽くす菜食、厳格な食前の祈り。彼女は敬虔なキリスト教徒になっていたのだ。
パトリックは、その事実をなぜか受け入れることができなかった。
パトリックを送迎したリーは、「母親はまともになっていたな」と評するが、パトリックは「そうやって僕を追い出そうとする」と強く反発をする。

*

ところで、マンチェスター・バイ・ザ・シーとはアメリカの東部の小さな港町のことである。
その名の通り、街は海に面しており、ジョーはそこで漁師をしていた。
ひと昔前までは、リーとジョーとパトリックの三人は、よく海釣りを楽しんでいたのだ。
船上で陽気にジョークを飛ばすリーと、それをけむたがるパトリック。
リーが家に帰れば、「パトリックが大きなスズキを釣ってな」と嬉しそうにランディに報告する。
物語の合間には、そんな多幸感に満ちた回想が何度も挿入される。かつて、海はリーにとって幸せの象徴だったのだ。

ところが、マンチェスターでの暮らしを再開してから、リーが海を目にして、窓ガラスをたたき割るシーンがある。
その衝動的な怒りは、海の"まなざし"に対する不快の表明だったと思う。
開かれた世界、未来への可能性。海が孕むそれらの寓意は、彼がランディとの再会で覚えた戸惑いと同一のものだった。
リーとパトリックは、「ゆるされて、未来へ進む」という女たちの態度を理解できないという点で共通していた。
言い換えれば、過去を置き去りにせず、大切な人との紐帯を守るということ。その態度を同じくしていることに気付いて、彼らはようやく親しみを感じられるようになったのだ。

*

物語の終盤、リーはパトリックに「乗り越えられない」と告白する。
リーはしばらくマンチェスターで過ごしたが、やはり子供たちを失ったその地で暮らすことに耐えられなかったのだ。
パトリックはジョーの親友であるジョージに託され、リーはボストンでの便利屋の暮らしを再開することになった。
けれども、彼らは元通りの孤独に戻ったわけではなかった。
ジョーの遺体を埋葬した帰り道、二人が歩く坂道には木漏れ日が差し込んでいる。
相変わらず会話はほとんどないが、代わりにゴムボールを投げ合って間をつないでいる。
不器用な男たちは、そんなやり方でつながりを確認しあっている。

ラストのショットでは、リーとパトリックが釣りを楽しむ様子が映されている。
映像にセリフはないが、二人の間にはおだやかな空気がただよっている。
リーは、海と和解できたのかもしれない。
海鳥の鳴き声が聞こえる。その声に隠しながら、こっちの世界も悪くないさと、彼は海に言葉を投げたかもしれない。