「ジョジョ・ラビット」 ファッションと信念

ジョジョ・ラビット」(2019)
監督:タイカ・ワイティティ


東京には花粉が飛び始めましたが、明けましておめでとうございます。
たぶんこれが今年最後の「明けましておめでとうございます」ですが、次の「明けましておめでとうございます」もあっというまなんだろうなと思います。
桜が咲くたび、「人生であと何回これを見れるのだろう」と考えるのですが、「明けましておめでとうございます」と言うのも、人生であと何百回くらいか、と思うとちょっと寂しくなります。

2020年の一記事目はスカーレット・ヨハンソンに捧げたいと思います。
「マリッジ・ストーリー」「ジョジョ・ラビット」どちらも最高の演技でした。
アカデミー賞はアンラッキーでしたが、僕にとっては間違いなく、2019年の作品で一番印象に残った女優です。
しばらくは、靴紐を結びなおすたびに彼女のことを思い出すことになりそうです。


 

映画のあらすじは以下の通り(本文を書くので精一杯なので公式HPから引用します)。

舞台は、第二次世界大戦下のドイツ。10歳の少年ジョジョは、空想上の友達であるアドルフ・ヒトラーの助けを借りて、青少年集団ヒトラーユーゲントの立派な兵士になろうと奮闘していた。しかし、心優しいジョジョは、訓練でウサギを殺すことができず、教官から〈ジョジョ・ラビット〉という不名誉なあだ名をつけられる。そんな中、ジョジョは母親と二人で暮らす家の隠し部屋に、ユダヤ人少女エルサが匿われていることに気づく。やがてジョジョは皮肉屋のアドルフの目を気にしながらも、強く勇敢なエルサに惹かれていく──。

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予告編だけでも十分わかりますが、この映画は揃いも揃って魅力的なキャラクターばかりです。
ヨーキー(アーチー・イェーツ)の一挙手一投足の反則的なかわいさも語りたいところですが、冒頭でスカヨハに捧ぐと宣言してしまった手前、ここではすてきな大人たちについて記すことにします。

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さっそくスカーレット・ヨハンソンが演じたロージーについて。
彼女は主人公・ジョジョ(ローマン・グリフィン・デイヴィス)の母で、生命力のかたまりみたいな女性です。
女手一つでジョジョを育てながら、昼にはおしゃれをして街に繰り出し、夜にはワインを呷ってジョジョと踊ります。
一方で、裏では反ナチスの活動をしており、家では密かにユダヤ人の少女エルサ(トーマシン・マッケンジー)をかくまっています。
けれども人前では常に明るく、ユーモアたっぷりで、とてもチャーミングなのがロージーという人物です。

そんな彼女の幕引きは突然やってきます。ある日、ジョジョは街の広場で、彼女が吊るされているのを発見してしまうのです。
このとき印象的なのは、ロージーの顔が映らないことです。
縛り首の死体は、物語の序盤でも映りますが、このときのショットは正面からであり、死体の表情も映りこんでいました(ジョジョが「おえっ」とこぼすシーン)。
一方、ロージーの死体はその顔がまったく映りません。それでも死体がロージーであることは一目でわかります。服装が抜群に華やかだからです。
ナチスの活動をするのなら、地味で目立たないほうが当然リスクは低かったはずです。けれども物語を通して彼女はそうはしませんでした。
おしゃれをするということは、おそらく彼女にとって反ナチスの活動よりも重要な――あるいはそれこそが最も反ナチス的な――活動だったのではないでしょうか。
彼女の最後のシーンでは、その美しい顔は映りませんが、それ以上に彼女らしさが映りこんでいたように思います。

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もう一人語っておきたい人がいます。キャプテン・K(サム・ロックウェル)という人物です。
彼はナチスの軍人で、少年兵の指導教官ですが、ジョジョの家にゲシュタポが立ち入ったときには、颯爽と現れてジョジョを助けます。
エルサが「ジョジョの姉だ」と嘘をついたときも、彼はそれに気づきながらあえて見逃します。
規律に盲従するのではなく、自分の判断で行動するタイプの人間ということです。

しかし彼もまた風変わりな男で、街に連合軍が攻め込んできたとき、彼も前線に繰り出しますが、そのときの装いがまるで中世の騎士のようなのです(途中でジョジョにスケッチを見せていました)。
率直に言ってそれは派手です。そこが渋谷とか原宿ならまだしも、戦場においては(文字通り)致命的な問題があります。
それでも彼は、ロージーと同じように、自分が着たい服を着て、戦いに挑みました。
彼は幸運にもこの戦いを生き延びることができます。けれども、再び身を挺してジョジョの危機を助け、連合軍に処刑されてしまいます。

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自分を表現する手段は、この世界に無数にあるはずですが、不思議と僕らが採れる選択肢はあまり多くありません。
その中で、おしゃれをすることは、比較的身近で、開かれた手段の一つだと思います。
少しのお金と、少しの工夫と、少しの勇気があれば、ファッションを通じて〈私〉という存在を主張することができます。
ロージーやキャプテン・Kがファッションに託していたのは、まさにその〈私〉という主体性であり、〈私〉こそが正しさを判断し、何をすべきか決めるのだという、人としての信念だったのではないかと思います。

ちなみにジョジョのイマジナリー・フレンドであるヒトラー(ワイカ・エンティティ)が最後に着ていたのは、いつも通りの退屈な軍服でした。
市井の人々の〈私〉を奪ってきた彼には、おしゃれをする権利はないということなのかもしれません。

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市外戦が連合軍の勝利で終わった後、ジョジョはエルサを失うことに葛藤しながらも、彼女を解放することに決めます。
閉じ込められたうさぎを助けること。それが自分なりの正しさだと気付いたからです。

二人が外に出ると、通りには米国の国旗を掲げたジープが走っており、エルサはその様子に呆気にとられます。
そんなエルサをジョジョは満足そうに見つめます。
そのときのジョジョのフルショット。
サイズの合った青いパンツに、黄色と黒の格子柄のシャツ。その上にはベージュのコートを羽織り、ポケットに手を突っ込んでいます。
軍服を捨てた彼のファッションは、大人っぽく、ロージーに似て、とてもおしゃれなのです。

ラストシーンでジョジョを見つめるエルサの表情はとてもかわいい。
それは弟を見つめる姉の表情ではなく、すてきな女の子が、すてきな男の子を見つめる表情のように思えます。

おしゃれであること、信念を持つこと。
人にとって絶対に必要な条件ではないかもしれないけれど、その両方を満たす人はとてもかっこよくて、あこがれます。
そして、そんな大人たちの背中を見て、子供が育っていくという物語は、とても正しくて、胸がいっぱいになるのです。

 


*映画の後に聴きたくなったのがこの曲でした。素敵な音楽が聴きたくなるのは、素敵な映画の一つの特徴なんじゃないかとこの頃思います。